東京都台東区のかっぱ橋道具街(合羽橋通り)にある三起堂では、昭和18年より料理道具、厨房器具、厨房用品、漆器など多くの商品が所狭しと並んでおり、皆様のお越しをお待ちしております。

沿革

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昭和18年2月 東京都墨田区向島にて太陽電熱工業所を設立
新考案のパン焼窯の製造を開始
昭和22年3月 新工場を東京都台東区西浅草に新設(現在の配送センター)
昭和23年10月 太陽電熱工業所を改め浜田産業株式会社とし、現本社所在地に置く
昭和32年2月 浜田産業株式会社を改め有限会社三起堂とする
バウムクーヘン焼成機を考案し、洋菓子の普及に努力する
昭和39年1月 バウムクーヘン焼成機の特許願・実用新案を申請
昭和42年5月 バウムクーヘン焼成機の実用新案登録
昭和42年6月 第二工場を台東区日本堤に新設
昭和43年3月 本社所在地に於いて料理道具卸・小売販売を開始
昭和60年4月 Yamasho,Inc.(米国)と業務提携し料理器具・食器類の輸出業務を開始
平成17年11月 組織変更により、株式会社三起堂と改める
平成19年12月 食品部門を新設、食材・食材加工品輸出を開始

かっぱ橋通りの歴史

合羽橋(かっぱばし)とは、台東区西浅草~松ヶ谷地区にある、食器具・包材・調理器具・食品サンプル・食材・調理衣装などを一括に扱う問屋街の事である。別名かっぱ橋道具街とも呼ばれる。

文化年間にこの地で堀割(後の新堀川、現在は消滅)整備を行った合羽屋喜八が合羽橋の名前の由来の一つとされており、合羽橋交差点で道具街通りと交差するかっぱ橋本通り沿いの曹源寺(通称かっぱ寺)に合羽屋喜八の墓がある。
道具街の起源は、1912年(大正元年)頃に数軒の道具商が店を構えたこととされている。
浅草通りと交わる菊屋橋交差点付近から言問通りまで南北に伸びるかっぱ橋道具街通り沿いに軒を構え、調理、厨房備品に関するものなら、何でも揃うと言われる。その顧客の多くが飲食店である。厨房用品一切に係わる専門店は、その総数が150店にも及ぶという。
1983年より、道具の日である10月9日前後に道具まつりが開催され、2003年秋には、道具街誕生90周年を記念して、合羽橋交差点近くのポケットパークにかっぱ河太郎像が建立された。

今日では日本特有の食品サンプルがガイド冊子で紹介され、海外からの観光客に人気を博し、専ら観光客向けのみやげ物屋として営業を行っている店もある。また、外国では特注扱いになる少々特殊な調理道具(楕円形の抜き型や、そば切り包丁などの用途が限定された包丁など)も店頭で買えるため、プロの料理人を含む外国人が日本に来たついでに覗いて行く姿も見受けられる。

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